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読書記録「戦国の作法 村の紛争解決」

前近代社会の領主に連なる人間を主人公にした話を書いているのだから、こういうのは読んでみなきゃねと思って買った本。

前近代社会での紛争解決、どう考えても大変。中央集権的でないから自力救済!それはそうなのだけど、一定のルールがないとみんな不便だし、何かしら暗黙の相場感みたいなものがあったのでは、くらいまでは容易に想像ができる。この本は、その実情に迫ったものだと思います。細かいところで自分の知識不足かよくわからないところはありましたが、全体を通してみるととても面白かった。お勧めです。

言葉戦い

例えば、実際の戦力同士をぶつけ合う前に「言葉戦い」などと呼ばれるものがあったらしい。要はお互いに代表者が大声で正当性を主張しあうわけです。もちろんその言い合いに負けたからといって戦闘が継続不能になるわけではないけれど、負けた側は士気が下がって事実上勝負が決まってしまう、くらいのことはあったらしい。

戦国時代の後期になってくるとこれを禁止するという傾向が強まっていることが示唆されているというのも面白いですね。中央集権制が強まってくると互いの正当性を主張し合うことの合理性が薄れてきてしまい、将兵の無統制な軽口、くらいの扱いになっていたらしい。無統制に論戦が行われて勝手に士気が上がったり下がったりする、管理側からすると嬉しくないので規制されるのは納得感がありました。

で、筆者の主張としては、この種の行いは別に戦国大名が行うような戦いに限って存在したものではなくて、農村共同体などのレベルでも行われていたのではないか、というのをいくつかの状況証拠(口論することが鍵となるような神事の存在など)から唱えています。当事者同士で口論しても双方利害関係者だからキリがない、という感じはありますが、お互いの主張をお互いが把握して妥協の余地を探る段階としては確かに合理性があるようにも思えますね。

わびごと

紛争は勝ってばかりではなくて、強要されて、あるいは自発的に「ごめんなさい」を言わないといけない場合もあります。そんなときどうしていたのか、という話も面白かったです。

例えば村の責任者が家を焼くことをもって謝罪とするだとか、責任者の身内(子供など)の身柄を差し出すだとか。人質として適格な身分というのはある程度決まっていたそうで、あるケースなどでは対立する勢力の村から人を攫ってきた後、関係者から「その人じゃあ人質として適格じゃないでしょ。返してきなさい」と叱られて返す、みたいなことまで記録されているそうな。なんか攫われ損ですが、まあ殺されたりするよりはいいか……。

この手の「責任者の○○」系は結構穏やかで、人質と言っても受け入れ側は「大切な身内を差し出す心意気に感じ入って特別に許して返す」みたいな出来レースも結構あったらしいんですが、しんどいのはもう一つのパターンで、村で養っている共同体外の人を人身御供にするケース。働かない人とか、浪人とか、そういう人たちを普段は何も言わずに受け入れておいて、いざというときに「養ってやってたんだから村のために犠牲になってくれ」という論理で相手に差し出すやつです。新九郎、奔る!にも出ていましたね。絶対当事者になりたくねえ……。

そういうケースでは一応家族の面倒を見るとか子孫は村の共同体に加えるとかの代償は約束されていたそうですが、約束と違うぞ、というような趣旨で子供が訴訟を提起している記録もあるらしい。人はなぜ。

農村共同体の自律性

我々がイメージする農村というのは、領主に暴力で支配されて年貢を搾取される悲惨な場所という雰囲気がありますが、思ったよりも自律性があるぞ、という話も出ていました。例えばある種の儀礼的な逃散を行うという交渉テクニックがあったらしい。人々は村にいるんだけど、扉を閉ざして生産活動をしない。要するに現代のストライキですね。他にも、当初は「不作だから」という名目で年貢率を割り引いてもらったのに、数年後には「なんで通例通りの割り引かれた年貢率になってないんですか?」「いや、今年ってめちゃくちゃ豊作でしょ」みたいなやりとりをしていたり。

ただ、当時の農村は別に楽園などではなく、しっかりシビアな場所でもあったことは筆者も強調しているところではあります。が、例えば村ごと焼き払う、みたいなムーブは領主からすれば相当取りづらかっただろうというのも事実なんでしょうね。だって、そんなことしたら来年から年貢の上がりが減っちゃうわけだし……。

他、祭礼に関する記述などもあったのですが、筆者も認めているとおり整理できていない感じがあり、当時を知らない自分からするといささか混乱してしまってあまり呑み込めませんでした。とはいえ細々と面白く読めたところはあって、例えば木炭など何かしら農作物以外の生産を担う機能を与えられた村にはその分無税の農地があった、みたいなところは面白かったです。