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ポストアポカリプスSF百合ファンタジー「明ける世界の夢見る機械」公式広報ブログにして壕野一廻個人雑記帳

冬コミ頒布物!「くずかご・エクス・マキナ」の世界設定関連ファイルとマイクロフィルム

今年もやってまいりました冬コミ。新刊の用意ができましたのでお知らせしたいと思います。じゃーん!

冬コミ頒布物。「くずかご・エクス・マキナ」の世界設定関連ファイルとマイクロフィルム

Q&A

これは何?

よくスパイ映画とかに出てくるマイクロフィルムです。中でもこれはジャケットフィルムという形式で、複数ページの文書を保管するのに向く形式です。

読めるの?

専用の機材を使う必要はなく、10倍のルーペを使えば読み取ることができます。iPhone15のマクロ撮影機能でも読めるとの報告もあるようです。

10倍のルーペなんて持ってないんですが……

ルーペ自体は1500円程度で入手できるようです。また、内容を増補したコピ本も頒布します(フィルムの奥にあるファイルがそれです)。

あけゆめ新作まだ?

すみませんすみません。公私ともにいろいろあって二正面作戦ができない状態です。来年には進めていきたい……!

既刊は持ってくるの?

持っていきます!以下の本を持っていく予定です。

  • くずかご・エクス・マキナ: 1,000円
  • 理性の光を星までつなげ: 500円
  • ノイズのなぎさで: 1,500円

さらなるお知らせ

今回はみひろさんのご協力を頂き、「あけゆめ」主人公であるクロエラエール・ヒンチリフさんが弊サークルにやってきます!業服姿が現実世界に出現するのは史上初のはず。是非スペースにてお確かめください。

それでは会場でお待ちしています!

夏コミお疲れ様でした & 読んだ本の感想など

夏コミ・コミティアなど皆さんお疲れ様でした。弊サークルはいつも通り楽しく熱い(暑くもある)コミケを過ごすことができました。いらしてくれた皆さん、お手伝い頂いた皆さんにはこの場を借りてお礼させてください。

「あけゆめ」の連載が停滞気味なのは申し訳ない。ここで止める気は毛頭無く、引き続きやっていくつもりなので今しばらくお待ちください。

さて、イベント続きだったので素敵な本ををいろいろと読むことができました。積み本を崩すという遠大な事業は道半ばですが、一旦ここにアーカイブしておこうと思います。

1ツイートで完結しているものたち

私家版近世欧州軍事史備忘録 巻6 定量分析のすすめ

どうしてもふわふわと語られがちな戦闘の勝敗みたいな話題、噂によればランチェスターの法則なんてものもあるらしいけど……。みたいな人に最適なのがこの本。戦闘、ことに前近代の戦いをどう定量的に分析するかについての過去の議論が手広く纏まっていて、著者自身も手を動かして事例適用を試みてくださっています。

本書で紹介されているデュピュイの定量化判定モデル(QJM)は、クラウゼヴィッツ戦争論からの演繹で戦闘を定量化しようというかなり大胆なものです。

読んでいて感じたのは、個別具体の戦場における戦闘能力の発揮効率を表現する係数である戦場変動要素の調整にかなり人の手を加えざるを得ない点が難点であるな、ということでした。

戦場変動要素を考慮しない理論値と実際の戦闘の結果はこう違う。ところで文献によるとこんな出来事があったから、こちらの勢力は戦場変動要素のうちこの部分にこれだけの格差があったと仮定して……よしよし。数字が合いましたね。

みたいな感じになっている。これは議論の叩き台としては決して悪くないと思うのですが、やはり発展途上の感が否めない。

そんな話を友人としていたところ、ベイズ統計学をうまく使えばこの理論はもっと見通しが良くなるのではないかという話題が出ました。どのみち全てのパラメータを決定的に定めることはできないのだから、戦闘の結果や途中経過において生じた出来事などを使ってパラメータのばらつきを少しずつ絞り込んでいく、というようなアプローチは取れないだろうかという考え方です*1

やや辛いコメントに見えたかもしれませんが、QJMに対する批判にも著者は一章を割いていて、よくまとまっているし誠実な本だと思います。それに、デュピュイのモデルに問題があったとしても、このアイディアに基づいて一定の形あるものを作っただけでも偉大なことという感じがする。

この手の議論に興味のある方は是非一読することをお勧めします。

宣伝

オリジナル作品は知ってもらわないと本当に知られないので宣伝させてください!弊サークルの夏コミ新刊はメロンブックスさんで大好評委託中!リンク先特設サイトから試し読みもできますので何卒……!

kuzukago-ex-machina.vercel.app

*1:誰かやる気のある人がいたら試してみてください。自分はやる気になったら試してみるかもしれないが、ベイズ統計学をまずちゃんと勉強するところから始めないといけない

Twitterの混乱と最近の観測範囲での景色

 Twitterはあまり見なくなった。なぜなら、数時間に一回くらいのペースでざっと眺めるだけでもレートリミットに達するので……。

 人々はいろいろな場所に散っているように見える。休眠していたDiscordサーバーたちが再整備を受け浮上し、Fediverse上の分散SNSたちは空前の人の流れに翻弄されている。  Discordサーバーでは、人々がぼそぼそと日々の暮らしを綴り、あるいはこれからどうなるのだろう、というような漠然とした不安や、古巣への思いを口にしている。よりパブリックな分散SNSは対称的で、あまりTwitterへの言及はない。ただ、新規参入した人々はそれなりにルールの異なる新たなコミュニティへ順応しようとしているように見える。道具立てを変えたらポスアポものの一シーンだよな、みたいな思いを抱く。

 misskey.ioはそうした人の流れの中ではかなり巨大な部類で、相互フォロワーをかなり沢山見かけるようになった。イラストレーターさんも多い。やはり巨大サーバーなので、拡散力を考えればここになるのだろう。ローカルタイムラインは流量がありすぎてあまり実用的でないな、と感じる。チャンネル機能を使いこなしながらフォローを増やしていく運用が向いていそう。

 novelskey.tarbin.netというサーバーにもアカウントを作ってみた。こちらは小説書いてる人向けのサーバーということで、規模はずっと小さい。ローカルタイムラインの流速はほどよく、古の「お風呂入ってくる」「ほかてら」的空気感が色濃い。

いずれのインスタンスでもtype10tkというIDでやっているので、興味があったらフォローしてみてください。

分散型SNSというのは面白いのだけど、一方、複数のインスタンスのローカルタイムラインで交流したいという需要には不便な面もある。各インスタンスのユーザーを束ねたメタユーザーみたいなものがあれば本当はいいのだろうな。メタユーザーをフォローすれば、その人と関連する全インスタンスをフォローしたことになる。特定のインスタンスの投稿が鬱陶しければそこだけリムーブする、など柔軟にできるし。ただ、結構中央集権性が必要な気がするし、実装のイメージは湧かないな。

夏コミ参加します(第一報)

夏コミ参加しますよ。現時点での情報をお知らせします。

まずはサークルカットをご覧ください。

夏コミのサークルカット

あけゆめに引き続きAIものですが、今回は近未来の日本を舞台にしています。機械知性が発展していった先では、「どこまでを機械に任せるのか」という古くて新しい話題が再び盛り上がるはず(というか、もうなってる)。そのあたりを自分なりに考えてみたお話になる予定です。鋭意制作中なのでお楽しみに。

参加概要

おまけ

はてなブログに有料記事機能ができたので、今時点での冒頭2000字程度をお試しで付けてみます。正式なサンプルは後日公開しますが、今の時点での様子を見たい人はどうぞ。まだ未推敲の粗い原稿ですし、登場人物の名前を含むあらゆる部分が変わる可能性がありますので悪しからず。

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帝国が衰退するということ

Twitterが壊れた件についてふわっとした感想を書きたい。「帝国」というアナロジーを使うけれど、きちんと調べて書いたわけではないジャストアイディアです。専門の方からするとおかしなことを言っている気がする。事実誤認などあったら突っ込んでください。

たぶん、Twitterにせよローマにせよ、帝国が帝国たりうるには、帝国とそれが担保するエコシステムが少なくとも大多数の人に利益を与えないといけない。 そして、帝国の衰退とは、そのエコシステムがある日突然多くの人々にとって無価値になる、という形では進行しないのではないか。自分が今ぼんやり考えているところでは、以下のようなプロセスを辿るのではないか。

  • エコシステムに依存できない事態が増える
  • 一部の人は最初から依存するのをやめて代替手段を用意する
  • エコシステムに乗っかる魅力が落ちる
  • 最初に戻る

こうして徐々に衰退している局面では、帝国の中央にいる人たちから見ると特に大きな変化は生じていないのじゃないかと思う。だけれど、気付けば中央にいる人たちも気付いてしまう。「別に今の帝国についてく必要なくない?」と。屋台骨を直接支えている人たちがいなくなれば、あとはあっという間だろう。

こうしたプロセスに1年掛かるのか、それとも100年掛かるのかは知らない。ゆっくり進行する事態だろうから、衰退し始めてから盛り返した例だってあるのかもしれない。

良くも悪くもTwitterに人生を変えられた自分なので、思い入れはある。できればうまい感じにやっていってほしいけど……。

C101参加情報

すっかりブログでのお知らせを忘れてしまっていました。弊サークルも参加します。

新刊告知画像
C101お品書き

大変素敵な表紙は春日いづれさんに描いて頂きました。ありがたすぎる。春日さんの同人誌の委託頒布も行いますので是非こちらも合わせてご覧になってください。

今回は制作プロセスにVivliostyleを導入してみるなどいろいろ試みてみました。作品を支える技術と同じくらいに作品の面白さにも力を入れていますので、どうか読んでみてください。今回の書き出しは結構気に入っている……。 イベント会場に足を運べない方でもメロンブックスからお求め頂けます。こちらもよろしくお願いします。

頒布情報

とき・ところ

新刊頒布形態

理性の光を星までつなげ

 突然舞い込んだ学会への招待。学者としてのキャリアを目指すに は実績が必要だ。千載一遇のチャンス! しかし、冒険の旅に気を 取られていたクロエラエールには何の準備もなかった。僅か二週間 で一定の成果を形にしなければならない! 紙とインクに塗れた戦 いの幕が上がる。

好評Web連載中ポストアポカリプスSF百合ファンタジー「明ける世界の夢見る機械」シリーズの一部ですが、単独でもお楽しみいただけます。

「理性の光を星までつなげ」表紙イラスト額装画

コットン紙に美術グレードの印刷を行って額装した品物です。基本的には会場でのディスプレイ用に制作しましたが、一応頒布も行います。

  • 額縁サイズ: 太子(378mm×288mm)
  • 本体サイズ: A4
  • 頒価: 9,000円

額装画サンプル

本文サンプル

読書記録「戦国の作法 村の紛争解決」

前近代社会の領主に連なる人間を主人公にした話を書いているのだから、こういうのは読んでみなきゃねと思って買った本。

前近代社会での紛争解決、どう考えても大変。中央集権的でないから自力救済!それはそうなのだけど、一定のルールがないとみんな不便だし、何かしら暗黙の相場感みたいなものがあったのでは、くらいまでは容易に想像ができる。この本は、その実情に迫ったものだと思います。細かいところで自分の知識不足かよくわからないところはありましたが、全体を通してみるととても面白かった。お勧めです。

言葉戦い

例えば、実際の戦力同士をぶつけ合う前に「言葉戦い」などと呼ばれるものがあったらしい。要はお互いに代表者が大声で正当性を主張しあうわけです。もちろんその言い合いに負けたからといって戦闘が継続不能になるわけではないけれど、負けた側は士気が下がって事実上勝負が決まってしまう、くらいのことはあったらしい。

戦国時代の後期になってくるとこれを禁止するという傾向が強まっていることが示唆されているというのも面白いですね。中央集権制が強まってくると互いの正当性を主張し合うことの合理性が薄れてきてしまい、将兵の無統制な軽口、くらいの扱いになっていたらしい。無統制に論戦が行われて勝手に士気が上がったり下がったりする、管理側からすると嬉しくないので規制されるのは納得感がありました。

で、筆者の主張としては、この種の行いは別に戦国大名が行うような戦いに限って存在したものではなくて、農村共同体などのレベルでも行われていたのではないか、というのをいくつかの状況証拠(口論することが鍵となるような神事の存在など)から唱えています。当事者同士で口論しても双方利害関係者だからキリがない、という感じはありますが、お互いの主張をお互いが把握して妥協の余地を探る段階としては確かに合理性があるようにも思えますね。

わびごと

紛争は勝ってばかりではなくて、強要されて、あるいは自発的に「ごめんなさい」を言わないといけない場合もあります。そんなときどうしていたのか、という話も面白かったです。

例えば村の責任者が家を焼くことをもって謝罪とするだとか、責任者の身内(子供など)の身柄を差し出すだとか。人質として適格な身分というのはある程度決まっていたそうで、あるケースなどでは対立する勢力の村から人を攫ってきた後、関係者から「その人じゃあ人質として適格じゃないでしょ。返してきなさい」と叱られて返す、みたいなことまで記録されているそうな。なんか攫われ損ですが、まあ殺されたりするよりはいいか……。

この手の「責任者の○○」系は結構穏やかで、人質と言っても受け入れ側は「大切な身内を差し出す心意気に感じ入って特別に許して返す」みたいな出来レースも結構あったらしいんですが、しんどいのはもう一つのパターンで、村で養っている共同体外の人を人身御供にするケース。働かない人とか、浪人とか、そういう人たちを普段は何も言わずに受け入れておいて、いざというときに「養ってやってたんだから村のために犠牲になってくれ」という論理で相手に差し出すやつです。新九郎、奔る!にも出ていましたね。絶対当事者になりたくねえ……。

そういうケースでは一応家族の面倒を見るとか子孫は村の共同体に加えるとかの代償は約束されていたそうですが、約束と違うぞ、というような趣旨で子供が訴訟を提起している記録もあるらしい。人はなぜ。

農村共同体の自律性

我々がイメージする農村というのは、領主に暴力で支配されて年貢を搾取される悲惨な場所という雰囲気がありますが、思ったよりも自律性があるぞ、という話も出ていました。例えばある種の儀礼的な逃散を行うという交渉テクニックがあったらしい。人々は村にいるんだけど、扉を閉ざして生産活動をしない。要するに現代のストライキですね。他にも、当初は「不作だから」という名目で年貢率を割り引いてもらったのに、数年後には「なんで通例通りの割り引かれた年貢率になってないんですか?」「いや、今年ってめちゃくちゃ豊作でしょ」みたいなやりとりをしていたり。

ただ、当時の農村は別に楽園などではなく、しっかりシビアな場所でもあったことは筆者も強調しているところではあります。が、例えば村ごと焼き払う、みたいなムーブは領主からすれば相当取りづらかっただろうというのも事実なんでしょうね。だって、そんなことしたら来年から年貢の上がりが減っちゃうわけだし……。

他、祭礼に関する記述などもあったのですが、筆者も認めているとおり整理できていない感じがあり、当時を知らない自分からするといささか混乱してしまってあまり呑み込めませんでした。とはいえ細々と面白く読めたところはあって、例えば木炭など何かしら農作物以外の生産を担う機能を与えられた村にはその分無税の農地があった、みたいなところは面白かったです。